YEZO Ⅰ




















〔AUTUMN,2005〕


YEZOノート#1

寒さも厳しい2月中旬、私は最東端のこの極地に来ていた。
人が旅をする目的は様々である。
若い時は目的も持たず、家を飛び出し、様々な土地を旅をすることはあった。
しかし、いつの頃からか、旅の目的や動機を拠り所に、用意周到に準備し、家を出るようになった。
2月のこの頃ならば、いつものようにガスファンヒーターの近くでぬくぬくYoutubeでも見ていればいいものを、
わざわざ最も寒さが厳しい中、この極地に来たのだから目的がないわけがない。

この旅は一つの写真から始まった。
その写真は私自身が13年前にこの地で撮影したものである。
当時の私は民俗学に傾倒し、土着の文化ばかりを追い求め、フィールドワークのようにモノクロ写真におさめていた。
その道中、骨休めのためにこの地を訪れた。
フィルムもモノクロのものからカラーに差し替えられた。
それは私が求めるような民俗学的背景がここにはないと思っていたからである。
旅を終えた後もその写真の束はモノクロ写真の陰に隠れて、すっと押入れの奥にしまわれた。

数年前に過去に撮影したフィルム写真をデータ化する機会があり、そのデジタル化された写真を見ていてこの写真を発見した。
フィルムの前後には同じ場所で撮られた写真はなく、道中に見えた風景を一枚ずつ無作為的に転々と撮影しているものだった。
しかし、何か私を強く惹きつけるものがあった。
この現代、テクノロジーの発展により、写真は累乗倍的に増えつづけ、SNS上は(私も例外ではなく)作為的写真が溢れている。
そうした写真を見る癖がついてしまった私にとって、作為性のない状態で撮影されたであろう写真が、
私に改めて写真というものを考える気付きを与えてくれたのである。
それからなぜかこの地はいつか再訪したい私の憧れの地となった。

YEZOノート#2に続く